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どうでもいいブログ-会計研修室の放課後

昆虫採集

カナブンが学校の階段でひっくり返っていました。
動きが鈍く、弱っていました。

そこで、カナブン飼育セットを準備しました。
トライアルで総額500円くらいです。
餌はカブト虫やクワガタ虫用の蜜で良いそうです。
カナブンにそっくりな生き物に、コガネムシがいます。
コガネムシの餌は広葉樹だそうです。
色からして、また蜜を吸っているので、どう考えてもこいつはカナブンでしょう。

「虫も殺さぬ顔」とは私の事です。
しかし、それは顔だけです。
蚊に対しては、憎しみをもって殺します。
今回飼育を始めた理由は、お友達がほしかっただけです。

P1030271.JPG
お前は自由だ。
その虫篭の中で。
外に出たいなら出ろ。
希望するなら出してやる。
楽しい世界が待ってるぞ。
だが、鳥に食われても、のたれ死にしても、俺は知らない。
自由には、責任が伴う。
お前にその覚悟はあるか?

マッチョになりたいんです

理由はいくつかあります

①クソガキどもを注意したいです
この前コンビニのごみ箱に、大量の家庭ごみを突っ込むガキどもがいました
ビニール袋に入ったでかいゴミが、ゴミ箱に入りきらず、ゴミ箱の入り口に差し込まれただけでした。
恥ずかしながら、逆切れが怖くて注意できませんでした。
「おい、お前らそりゃやっちゃいかんぞ」
と、ぶ厚い胸板を見せつけながら言ってやりたいです。

たまにファミレスとかコンビニで、店員をどなりつける理不尽な客がいます。
そいつらに、「おい、ちょっとそのくらいにしてやったらどうだ?」
と、太い腕をみせつけながら、言ってやりたいです。

②写真集を出したいです
タイトルは、「ナルシストS吉」
最近は個人が廉価で作れるようです。
72ページ六色で、5120円とかいうのがありました。
サブタイトルは、「この美しさは-罪」
模擬試験で一位になった方に差し上げる予定です。


③メタボが嫌なんです
腹がだんだん出てきました。
筋トレで基礎代謝を上げて、何もしないでも太らない体質にしたいです。

④北斗の拳みたいな時代に備えて
暴力が支配する時代になっても、ラオウの部下としてとりあえず生き残るためです。

筋トレ後ビフォアー・アフター画像集(PCサイト)

↑これ見るとやる気が出ます。
女性のダイエット後の写真もありますので、お勧めです。

20110709.jpg

いまのところとても闘えない体型ですが、最近まじめに筋トレはじめたので、半年後、また画像UPしたいと思います。(さぼってしまい、暴飲暴食でメタボ悪化しました。いまからもういちどトレーニングします。今年中にかならずもう一度UPします。2012年4/25追加)
アスリートみたいな体型になるのに2~3年、
ボデービルダーみたいになるのに4~5年はかかるそうです。

ボデービルダーみたいになりたいのですが、
努力もなしに先ばっかりみてもしょうがないので、
とりあえず次の画像アップするまでの、あと半年頑張ってみます。

目標
yamamoto20100831.jpg
世界の山本@玉穂町出身
アームレスリング世界ランキング五位
保有資格日商簿記2級
参考URL

貧困層5

以前、職業訓練の生徒さんから、こんな話を聞いた。
記憶は曖昧だが、こんな内容だった。

私は就職氷河期にぶつかり、派遣で働かざるを得なかった。
そして派遣切りに会った。
その時、送別会で、正規雇用の先輩たちにこんな内容の事を言われた。
「きちんと正規雇用で働かないから解雇されるんだ」
私は反論した。
「私は好きで派遣していたんじゃないんだ。私はこれしか仕事がなかったんだ。」

バブルが崩壊し、1993年~2005年は、就職氷河期と名付けられた。
この時代に就職活動をした世代は、現在も非正規雇用が多い。

彼(彼女)ら(以下彼ら)は、ロストジェネレーションなどと呼ばれる。朝日新聞がつけた名前である。就職活動の時期に希望の就職できず、現代でも派遣社員やフリーターといった不安定な働き方を余儀なくされた者が多い世代を指す。

正規雇用社員の生涯賃金は平均約二億円、対して非正規雇用社員等の生涯賃金平均は7千万円程度といわれている。(ただ、地方中小企業の正規雇用は、非正規雇用とさほど差がない場合が多い)

彼らの中には以下のような考えを持つ人もいる。

(省略)
私たちだって右肩上がりの時代ならば「今はフリーターでも、いつか正社員になって妻や子どもを養う」という夢ぐらいは持てたのかもしれない。
だが、給料が増えず、平和なままの流動性なき今の日本では、我々はいつまでたっても貧困から抜け出すことはできない。
我々が低賃金労働者として社会に放り出されてから、もう10年以上たった。
それなのに社会は我々に何も救いの手を差し出さないどころか、GDPを押し下げるだの、やる気がないだのと、罵倒を続けている。
平和が続けばこのような不平等が一生続くのだ。
そうした閉塞状態を打破し、流動性を生み出してくれるかもしれない何か――。

その可能性のひとつが、戦争である。
識者たちは若者の右傾化を、「大いなるものと結びつきたい欲求」であり、現実逃避の表れであると結論づける。
しかし、私たちが欲しているのは、そのような非現実的なものではない。
私のような経済弱者は、窮状から脱し、社会的な地位を得て、家族を養い、一人前の人間としての尊厳を得られる可能性のある社会を求めているのだ。
それはとても現実的な、そして人間として当然の欲求だろう。

そのために、戦争という手段を用いなければならないのは、非常に残念なことではあるが、そうした手段を望まなければならないほどに、社会の格差は大きく、かつ揺るぎないものになっているのだ。

戦争は悲惨だ。
しかし、その悲惨さは「持つ者が何かを失う」から悲惨なのであって、「何も持っていない」私からすれば、戦争は悲惨でも何でもなく、むしろチャンスとなる。
もちろん、戦時においては前線や銃後を問わず、死と隣り合わせではあるものの、それは国民のほぼすべてが同様である。
国民全体に降り注ぐ生と死のギャンブルである戦争状態と、一部の弱者だけが屈辱を味わう平和。
そのどちらが弱者にとって望ましいかなど、考えるまでもない。
持つ者は戦争によってそれを失うことにおびえを抱くが、持たざる者は戦争によって何かを得ることを望む。
持つ者と持たざる者がハッキリと分かれ、そこに流動性が存在しない格差社会においては、もはや戦争はタブーではない。

それどころか、反戦平和というスローガンこそが、我々を一生貧困の中に押しとどめる「持つ者」の傲慢であると受け止められるのである。

(中略)

それでもやはり見ず知らずの他人であっても、我々を見下す連中であっても、彼らが戦争に苦しむさまを見たくはない。
だからこうして訴えている。私を戦争に向かわせないでほしいと。
しかし、それでも社会が平和の名の下に、私に対して弱者であることを強制しつづけ、私のささやかな幸せへの願望を嘲笑いつづけるのだとしたら、
そのとき私は、「国民全員が苦しみつづける平等」を望み、それを選択することに躊躇しないだろう。

赤木智弘 朝日新聞社 「論座 2007年1月号」http://t-job.vis.ne.jp/base/maruyama.html

このような考え方に違和感を持つ人は多いだろう。
しかし、彼らは現実にそういう考えを持ってしまった。
彼らを、「ダメ人間」の一言で片づけるわけにはいかない。

いわゆる「いいところ」に正規雇用が出来た同世代またはその上の世代の人間は、家庭を持ち、子供を養い、安定した収入と福利厚生まで得ている。
一方自身は非正規で低賃金、それすらいつまで続くかわからない不安定な状態、生活が四苦八苦、年金も払えない、家族を養うなど夢物語。

お金で幸せが買えるとは限らないが、お金がみじめさや不幸を減らし、幸せを運ぶ確率を上げてくれる効果を持つことは間違いない。お金がないと、みじめな思いをしたり、不幸になる確率は高くなる。当然、気持ちに余裕が生まれにくい。

では、彼らはいったいどうすればよかったのだろうか。

(貧困がなくなるまで多分)つづく

金持ちになる方法

「金持ちになるにはどうすればいいでしょうか?」T栗さん25歳@税理士受験生

本物の成功者は、こういう相談をされた方に対して、こう言うケースが多いそうです。
「楽しい事・社会の役に立つことをしなさい。お金はあとから勝手についてくる。」
私にはそういう成功体験がないので、保証はできませんが、正しいような気がします。確かアップルのスティーブ・ジョブス、アマゾンのジェフリー・ベゾスなども同じような事を言ってました。

今回も他人の言葉を拝借ですが(笑)、日本が生んだ成功者の言葉を紹介します。

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私にとっては大切な大切な人物であります。
14歳で日本に渡ってきた。14歳で結婚しました。相手は37歳。私のおじいさん。
彼女は私のおばあちゃんであります。

途中で戦争も体験しました。
生きていくのがやっと。
泥水をすすって、飢えから子どもたちを守って、せいいっぱいという状況。

日本にいて、韓国の国籍で、言葉もカタコトで、知り合いも頼る人もいなくて、14歳で渡ってきた。つらいですよね。わからない何も。
14歳ってまだ娘ですよ。中学生です。
一人で見知らぬ国にやってきた。
つらかったと思います。

私の父、私の母、父はもう中学のときに家族を経済的に支えて、一生懸命仕事をしました。

大変苦しい苦しい生活の中で這い上がってきて、ヤミの焼酎をつくった。豚を育てた。なんとか生きてきた。

そんな中で私が生まれた。1957年。
私が生まれた頃にはすでに少しは生きていける、トタン屋根のボロボロの部落の家に住んでましたけどね。

私の戸籍は佐賀県鳥栖市五軒道路無番地と書いてある。
無番地ならわざわざ無番地って書かなきゃいいのに。
不法住居ですから。自分たちの土地ではなくて、国鉄の線路脇の空き地にトタン屋根で板を貼って住んでるわけですから、正式に戸籍を認めるわけにはいかない。
ということだったんだと思います。
無番地で生まれました。

私が今でも覚えていますが、3、4歳の頃、おばあちゃん可愛がってくれました。毎日散歩につれていってくれた。
父と母は一生懸命に、本当に一生懸命に仕事しておりましたので、いつも留守ですね。
私を子守してくれたのはおばあちゃん。毎日おばあちゃんが「正義や、散歩いくぞー!」
僕は喜んでおばあちゃんについていく。

おばあちゃんが「散歩行くぞー」
というときはリヤカーですね。リヤカーに乗って、しがみついていく。
あんまり言いたくないですが、今でも覚えている。
リヤカーが黒っぽいんですね。すべるんです、ぬるぬるして。
そのリヤカーはドラム缶を半分に切って3つ4つ積んであって、そこに飼っている豚のえさを、残飯をですね、鳥栖の駅前の近所の食堂から残飯をもらって、それを集めて豚のえさにして育ててる。

私は小さいからわからない。ただリヤカーに乗って楽しく行ける。ただなんとなくぬるぬるして、なんか腐ったような臭いがして、雨上がりのでこぼこ道で、水溜りですべったら落ちて死ぬなあ、と思いながら、「しっかりつかまっとけよー」ついていってるわけです。

おばあちゃん大好きでした。
その日は忘れられない。

大人になって今見るとリヤカーなんて乗りたくない。恥ずかしい。でもその頃は子どもだから別につらいということはなくて、楽しかった。

そのあと少し物心ついてくると、あれほど好きだったおばあちゃんが、大嫌いになった。
なぜ嫌いかといったら、おばあちゃんイコールキムチ、キムチイコール韓国。
そうするとそれにまつわるさまざまな、生きていくのにつらいことがあるんですよね。
あまり例をあげたくないけど。やっぱりつらいこといっぱいある。

そうするとやっぱり息を潜めるように、隠れるようにして日本名で生きているわけですね。
ですからなおさらそれがコンプレックスになってる。

あれほど好きだったおばあちゃんが、大嫌いになった。
避けて通る。そういうふうになった。

そんなときに、私の父が吐血をして入院した。
家族の危機ですね。
1歳年上の兄は高校中退して、泣き暮らしている母を支えて、家計の収入を支えて、父の入院費、家計のサポートをする母も一生懸命仕事する。

僕にとってはもう突然降って湧いたような家族の危機ですね。
なんとしても這い上がらないといけない。どうやって這い上がるか。

私は事業家になろうと、そのときに腹をくくったんですね。

一時的な解決策ではなくて、家族を支えられる事業を興すぞ。
中学生のときに腹をくくりました。

そのとき、「竜馬がゆく」を読んだんですね。
目からウロコでした。
いじいじぐずぐず言ってた自分が情けない。
人種だとかなんだとか、そういうつまんないことで悩んでたということ自体が、ちっぽけな人間だったなと気づいた。

そこで事業家を志して、アメリカに行こう、アメリカに渡ろう。
言ってみれば脱藩のようなものだ。

母は泣きました。友だちも先生も、全員とめました。
「ばあちゃんが心配するぞ、行くな。」
泣いて泣いて泣いて泣いて暮らしました。母は毎日泣いてました。
「行くな、そんなわけのわからない怖いところに行くな。行ったら帰ってこれんようになる。」
僕は振り切って、俺はアメリカに行って、事業家になる何かタマを見つけてくる。そこで何かつかんで、日本に帰ってきて事業を興す。絶対に家族を支えてみせる。

親戚のおじさんとかおばちゃんには言われました。イトコにも言われました。
「正義、お前はなんて冷たいヤツだ! 父親が血を吐いて、生きるか死ぬかのところでさ迷ってるときに、お前の父を置いて、一人でアメリカに行くんか。お前のエゴのために行くんか」
言われました。

私は言い返しました。

「そんなんじゃない、家族を支えたいから行くんだ。もうひとつついでに言っとくなら、今まで自分が悩んできた国籍だとか、人種だとか、同じように悩んでいる人たちがいっぱいおる。俺は立派な事業家になってみせて、孫正義の名前で、みんな人間は一緒だ。証明してみせる!」
心に誓ったんです。

その決意をしてから、ばあちゃんに言いました。
「ばあちゃんごめんね、あんなに優しくしてくれて愛してくれたばあちゃんを、俺は大嫌いだと言ってしまった。」「ばあちゃん、俺を韓国に連れて行ってくれ。」「アメリカに行く前に、自分が忌み嫌ってきた先祖の国を見てみたい。韓国につれていってくれ。」

ばあちゃんと一緒に二人で二週間ぐらい韓国をまわりました。
ばあちゃん喜んでくれた。
「正義、一緒に韓国いってくれるか。やっと韓国に行ってみようという気になったと。」

二人だけで韓国に渡りました。
小さな村で電気もきてない。やせ細った土地だから人間もちっちゃい。ローソクの中で迎える食卓。でもみんな、暗いローソクの中で、真っ黒い歯がニッコリ笑ってましたよ。
一生懸命迎えてくれた。
ばあちゃんは僕らの古着のツギハギのズボンだとかセーターを、親戚のイトコのみんなかき集めて大きな風呂敷に詰めて、繕いだらけの服を持っていって、その村の子どもたちにお土産として渡した。

もらう子どもたちは満面の笑みで「ありがとう。日本の洋服はきれいだ」
ばあちゃんからもらうものを受け取って、ばあちゃんのそのときの笑顔が忘れられない。

「人様のおかげだ。どんなに苦しいことがあっても、どんなに辛いことがあっても、誰かが助けてくれた。」
「人様のおかげだ。だから絶対人を恨んだらいかんばい。人様のおかげやけん。」


私は会社をはじめて2年で、大病をわずらって入院しました。もう死ぬと思いました。
お金じゃない。地位でも名誉でもない。ばあちゃんがやったような喜んでもらえる、ボロキレでもよろこんでもらえる。
そういうことに貢献できたら幸せだ。入院したときになおさら思いました。つくづく思いました。

会ったこともない、見たこともない、名前も知らない、カンボジアかどっかの小さな女の子が、泥んこの顔で、りんご1個もらって「ありがとう」。
何か我々ができることをして、誰に感謝してもいいかわからない状況で、心の中で「ありがとう」と。
そういう貢献できれば幸せだ。
名前も知らない、たった一人の子どもに喜んでもらいたい。

がんばります。よろしくお願いします。(ソフトバンク会長 孫正義)

結論「成功したら、私を雇ってください。お願いします。」
(ちなみに、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」は結構面白いです。)

テキトー相談室 相談募集中です。ご相談はs@yboki.comまで。
解答は結構テキトーですので、超深刻な悩み相談とかはご遠慮ください。

生きる

相談内容「生きてて楽しくありません。就職活動でも悩んでいます。何か刺激をください。」w鍋君23歳@某国立大学大学院生

アップルの創業者、スティーブ・ジョブスのスピーチを紹介しよう。

ありがとう。
今日は世界で最も優秀と言われる大学(スタンフォード)の卒業式に同席できて光栄です。
実は私は大学を出ていないので、これが私にとって最も大学の卒業に近い経験になります。
今日は私の人生から3つのストーリーを紹介します。
それだけです。大したことありません。たった3つです。

最初は、点と点をつなぐ話です。
私はリード大学を6ヶ月で退学しましたが、本当に辞めるまで18ヶ月ほど大学に居残って授業を聴講していました。
ではなぜ辞めることになったか?
その理由は私が生まれる前に遡ります。
私の生みの母親は若い未婚の大学院生でしたので、彼女は私を養子に出すことを決めていたのです。
彼女は育ての親は大学を出ているべきだと強く感じていたため、ある弁護士の夫婦が出産と同時に私を養子として引き取ることになっていました。
ところが、私が生まれる直前に、「本当に欲しいのは女の子」だと言われました。
そういういきさつで、(弁護士夫婦とは別の)養子縁組を待っていた今の両親は、夜中に「男の子が生まれたので欲しいですか?」という電話を受けたのです。
彼らは「もちろん」と答えました。
しかし、生みの母親も後で知ったことですが、母親は大学を出ていない、父親は高校も出ていませんでした。
そこで、生みの母親は養子縁組の書類へのサインを拒みました。しかし、何ヶ月か経って、今の両親が将来私を大学に行かせると約束してくれたので、気持ちが整理できたようです。
これが私の人生の出発点になったのです。
17年後、実際に大学に入りましたが、私はあまり深く考えずにスタンフォード並みに学費の高いカレッジを選んでしまったので、労働者階級の親の収入のほどんどは大学の学費に使われていました。
半年もすると、私はそこに何の価値も見出せなくなっていたのです。
人生で何がやりたいのか私自身に考えがなかったですし、それを見つける手助けを大学がどうしてくれるか思いつきませんでした。
なのに自分はここにいて、親が生涯かけて貯めた金を使い果たしている。
だから退学を決めたのです。それが全てうまく行く道だと信じて。
もちろん当時はかなり怖かったです。
ただ、いま振り返ると、これが人生で最良の決断だったのです。
というのも、退学した時点で興味ない必修科目は受けなくてもよく、自分にとって面白そうな授業に集中できたからです。
寮には自分の部屋もなく、夢を見れる状態ではありませんでした。
夜は友達の部屋の床に寝泊りさせてもらってたし、食費のためにコーラ瓶を店に返して5セント集めしたり、日曜夜はハーレクリシュナ寺院のご飯を食べに7マイル歩きました。
これが私の楽しみでした。
こうした自分の興味と直感に従うだけの多くの体験が、あとになって値段がつけられない価値に変わったのです。
ひとつ具体的な話をしてみましょう。
リード大学には、当時おそらく国内でも最高のカリグラフィ(文字を美しく見せる、日本の書道のようなもの)教育がありました。
見渡せばキャンパスにはポスターから戸棚に貼るラベルまで美しい手書きのカリグラフィばかりだったのです。
私は退学したのですから普通の授業はとる必要もないのでカリグラフィの授業を受けて手法を学ぶことにしたのです。
私はそこでセリフやサンセリフの書体について習ったり文字と文字のスペースを変えていく概念についてつまり異なる文字のコンビネーション手法など素晴らしいフォントの作り方を学問として学びました。
フォントは、美しく、歴史的にも、芸術的にも、科学で把握できないほどの緻密さでしたので、それは私にとって魅力的な発見となったのです。
フォントが、「人生で役立つ」という期待はありませんでした。しかし、それから10年経って最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計する時にその知識が役に立ち、マックの設計に組み込むことにしました。
こうして初めて美しいフォントを持つコンピュータが誕生したのです。
もし私が大学であのコースを寄り道していなかったら、マックには複数の書体も字間調整フォントも入っていなかっただろうし、ウィンドウズはマックの単なるマネに過ぎないので(笑)こうしたパソコンがいま世界に存在しないかもしれません。
もし私が大学を退学していなかったら、あのカリグラフィの授業に寄り道することはなかったしパソコンには素晴らしいフォント機能がないかもしれない。
もちろん大学にいた頃の私には、未来を見据えて点と点をつなげることはできませんでした。
しかし10年後に振り返えると、とてもハッキリ見えました。

もう一度復習します。
未来に先回りして点と点をつなげることはできない。
君たちできるのは過去を振り返って繋げることだけです。
だから点と点がいつか何らかのかたちでつながると信じなければならない。
自分の根性、運命、人生、カルマ、何でもいいから、とにかく信じるのです。
歩む道のどこかで点と点がつながると信じれば、自信を持って思うままに生きることができます。
たとえ人と違う道を歩んでも、信じることが全てを変えてくれるのです。


2つ目は、愛と敗北についての話です。
自分が何をしたいのか人生の早い段階で見つけることができたことは幸運でした。
実家の車庫でウォズとアップルを創業したのは、私が20歳の時でした。
私たちは仕事に没頭し、10年間でアップルはたった2人の会社から4千人以上の従業員を抱える20億ドル企業に成長しました。
私たちは最高傑作であるマッキントッシュを発表しましたが、そのたった1年後、30歳になってすぐに、私は会社をクビになってしまいました。
自分が始めた会社を首になるなんて不思議ですが、こういうことなんです。
アップルの成長にともなって、私は一緒に経営できる有能な人間を雇い最初の1年はうまくいっていました。
しかし、やがて将来ビジョンについて意見が分かれ、仲たがいに終わったのです。
取締役会は彼に味方し、私は30歳にして会社を去りました。
まさに社会的に追放された感じでした。

私の人生のすべてを注ぎこむものが消え去ったわけで、それは心をズタズタにされた状態になりました。
数ヶ月は本当にどうしたらいいのか分かりませんでした。
自分が前世代の起業家の実績に傷をつけてしまい、手渡されたリレーのバトンを落としたように感じました。
私はデイヴィッド・パッカードとボブ・ノイスに会い、ひどい状態にしてしまったことをお詫びしようとしました。
まさに社会的脱落者となりシリコンヴァレーから逃げ出そうと考えたほどです。
しかし自分がやってきたことをまだ愛していることに少しづつ気づきました。
アップルを退任劇があってもは私の気持ちは全く変わらなかったのです。
私は会社で否定されても、私はまだ好きだったのです。
だからもう一度やり直すことに決めたのです。

その時は分からなかったのですが、やがてアップルをクビになったことは、自分の人生最良の出来事だったのだ、ということが分かってきました。
成功者の重圧が消え、再び初心者の気軽さが戻ってきたのです。
あらゆるものに確信はもてなくなりましたが。
おかげで、私の人生で最も創造的な時期を迎えることができたのです。
その後の5年間に、私はネクストという会社とピクサーという会社を設立しましたし、妻となった素敵な女性と恋に落ちました。
ピクサーは世界初のコンピュータによるアニメーション映画「トイ・ストーリー」を創りました。
いま世界で最も成功しているアニメーション・スタジオです。
思いもしなかったのですが、ネクストがアップルに買収され私はアップルに復帰することになり、ネクストで開発した技術は現在アップル再生の中核的な役割を果たしています。
さらには、ロレーヌと私は素晴らしい家庭を一緒に築いています。
ここで確かなのは私がアップルをクビになっていなかったら、こうした事は何も起こらなかったということです。
それは大変苦い薬でしたが、患者には必要だったのでしょう。
人生には頭をレンガで殴られる時があります。
しかし信念を失わないこと。私がここまで続けてこれたのは、自分がやってきたことを愛しているからということに他なりません。
君たちも自分が好きなことを見つけなければなりません。
それは仕事でも恋愛でも同じこと。
これから仕事が人生の大きな割合を占めるのだから、本当に満足を得たいのであれば進む道はただひとつ、それは自分が素晴らしいと信じる仕事をやること。
さらに素晴らしい仕事をしたければ、好きなことを仕事にすること。
もし見つからないなら探し続けること。
落ち着かないこと。
心の問題と同じで、見つかったときに分かるものですし、愛する仕事というのは、素晴らしい人間関係と同じで、年を重ねるごとに自分を高めてくれるものです。だから探し続けること。落ち着いてはいけません。


3つ目は、死についての話です。
私は17歳の時、こんな感じの言葉を本で読みました。
「毎日を人生最後の日だと思って生きてみなさい。そうすればいつかあなたが正しいとわかるはずです。」
これには強烈な印象を受けました。
それから33年間毎朝私は鏡に映る自分に問いかけてきました。
「もし今日が自分の人生最後の日だしたら今日やる予定のことは私は本当にやりたいことだろうか?」
それに対する答えが「ノー」の日が何日も続くと私は「何かを変える必要がある」と自覚するわけです。
自分がもうすぐ死ぬ状況を想像することは最も大切な方法です。
私は人生で大きな決断をするときに随分と助けられてきました。
なぜなら、他人からの期待、自分のプライド、失敗への恐れなど、ほとんど全てのものは…死に直面すれば吹き飛んでしまう程度のもので、そこに残るものだけが本当に大切なことなのです。
自分もいつかは死ぬと思っていれば、何か失うのではかないかと危惧する必要はなくなるので、
私の知る限りの最善策です。失うものは何もない。
思うままに生きてはいけない理由はないのです。

今から1年ほど前、私は癌と診断されました。
朝の7時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓にクッキリと腫瘍が映っていたんですね。
私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。
医師たちは私に、これはほぼ確実に治療ができない種類の癌であり、余命は3ヶ月から6ヶ月と言いました。
そして家に帰ってやるべきことを済ませるよう助言しました。
これは医師の世界では「死」を意味する言葉です。
それは、子供たちに伝えた10年分のことを数カ月で済ませておけ、という意味です。
それは、家族が心安らかに暮らせるよう全て引継ぎをしておけ、という意味です。
それは、さよならを告げる、という意味です。
私はその診断書を一日抱えて過ごしました。
そしてその日の夕方に生体検査を受けました。
喉から内視鏡を入れ胃から腸に通してすい臓に針を刺して腫瘍の細胞を採取しました。
私は鎮静状態でしたので、妻の話によると医師が顕微鏡で細胞を覗くと泣き出したそうです。
というのは、すい臓ガンとしては珍しく手術で治せるタイプだと判明したからなんです。
こうして手術を受け、ありがたいことに今も元気にです。
これは私がもっとも死に近づいた瞬間で、この先何10年かは、これ以上近い経験がないことを願います。
こうした経験をしたこともあり、死というのが有用だが単に純粋に知的な概念だった頃よりも、私は多少は確信も持って言えます。
誰も死にたいと思っている人はいません。
天国に行きたくても、そこに行くために死にたい人はいません。
それでいて、死は誰もが向かう終着点なのです。
かつて死を逃れられた人はいない。
それはそうあるべきだから。なぜなら「死」は「生」による唯一で最高の発明品だから。
「死」は「生」のチェンジエージェントだから。つまり古いものが消え去り、新しいものに道を開ける働きです。
いまの時点で、新しいものとは、君たちのことです。
でもいつかは、君たちもだんだんと古くなり、消え去るのです。
あまりにドラマチックな表現なのですが、それが真実なのです。
君たちが持つ人生の時間は限られています。
他人の思惑ばかり気にして、自分の内なる声を抑えてはいけません。
最も重要なことは自分自身の心に素直に従い、勇気を持って行動することです。
君達の心は、君たちが本当になりたい姿を知っているはずです。
そして、それ以外のことは、人生においてたいしたことではないのです。

私が若い頃 "The Whole Earth Catalogue 全地球カタログ" というすごい出版物があって、
私と同じ世代ではバイブルのように扱われていました。
それはステュアート・ブランドという人が、ここからそれほど遠くないメンローパークで制作したもので、彼の詩的なタッチで彩られていました。
1960年代の終わり頃はパソコンもDTPもない時代ですから、全てタイプライターとハサミとポラロイドカメラで作られていました。
それはまるでグーグルのペーパーバック版のようなもので、グーグルが35年遡って登場したかのような理想的な本で、すごいツールと壮大な概念に溢れかえっていました。
スチュアートと彼のチームは ”The Whole Earth Catalogue” を何度か発行しましたが、
ひと通りの内容を網羅した時点で最終号を出しました。
それは1970年代半ばで、私がちょうど君たちの年代だった頃です。
最終号の裏表紙は、朝早い田舎道の写真だったのですが、それはヒッチハイクの経験があればどこか見たことある光景でした。
写真の下には "Stay hungry, Stay foolish." という言葉が書かれていたのです。
Stay hungry, Stay foolish. それが、発行者の最後の言葉だったのです。
それ以来、私は常に自分自身そうありたいと願ってきました。
そしていま、卒業して新しい人生を踏み出す君たちに、同じことを願います。
Stay hungry, Stay foolish. ハングリーであれ、バカであれ。
ご清聴ありがとうございました。(翻訳:小野晃司さん 一部変更)

結論「この前、君が考えた『スポーツ風俗』とかいう事業企画の話をしていた時、君の目は死んでいなかった。」

テキトー相談室、相談募集中です。
相談はテキトーですので、深刻な悩み相談はご遠慮ください。

新宿の夜景

先日、某専門学校若手講師と、マーケティングの勉強のため東京へ。
マーケティングは販売テクニックとは違う、顧客の事を考えてとかなんとかいう講義。

それはさておき、宿は新宿のやや高層ホテル。
そこに泊まった理由は、このクラスの割にはだいぶ安かったから。

晩飯はどうするかという話になる。
「宿泊客は割引料金だから、行かないと勿体無い。」
「今後のデートコースに使える。まずは下見だ。」
「そういう店に慣れるべき。おどおどしていたらもてない。」
「この投資額は費用ではなく、繰延資産である(2級以上)。」

とかいう理由で、割安に済まそうか最後まで迷ったものの、ホテル内の新宿の夜景が見れるおしゃれなレストランへ。

ホテル最上階。ワインが陳列されており、見るからにおしゃれ。
「お客様何名様でいらっしゃいますか?」
「二名です。」
「男二名です」と、男を追加しようかと一瞬迷ったが、無駄なことは避ける。
「かしこまりました。ご案内いたします。」

席に案内される。
新宿の夜景が見れる、綺麗な席。

で、開口一番、彼の口から出た言葉。
「いや~おれ、これきついです。」

無理もない。
普段他人の視線など気にしないこの私ですら、これはちょっと嫌だなと思うほど、まわりはカップルだらけ。しかもカップル記念日プランとかいうのがあるらしく、おしゃれなメッセージ付ケーキみたいなのが次々に運ばれていた。ほとんどがそれ。端から端まで、記念日ケーキ付のカップルがずらっと並んでいる。

そこに男二人。
チェックのシャツにズボン・メガネ・色白。
お互い世界征服の野望はあるも、格好だけみると単なる秋葉系の男二人。
秋葉系で収まるならまだいい。場合によっては「ヲタクホモ二名」なんて思われそうな状態だ。

ディナーはコース料理のため、出てくるのが遅い。
しかし、いまさら退店するのもどうかと。
こうなると、もう開き直るしかない。

2011051420470000.jpg

「この料理、とってもおいしいですね。」
「いやーとっても素敵な夜景ですねー。」
「この平和を守るため、自由を守るため、みんな仕事で戦ってるんですよ。」・・・

しかし、いろいろ想像する。
「お前等、このあとどうするんだ?」と。

日常生活と簿記

「簿記が財務・経理以外で役に立つシーンを教えてください。」双子パパ@30代男性♂

決算書は、作るのが目的ではありません。
その決算書から情報を読み取り、各種決定に役立たせるのが目的です。
簿記が役に立つシーンはたくさんあります。
今回は、日常生活で役に立たせる一例をお話いたします。

あるパチプロがいたとします。
ある日、合コンのお誘いがありました。
彼はどうしようか悩み、こう計算しました。

○マイナスの計算
①飲み代5,000円
②運転代行3,000円
③ガソリン代 およそ250円
④疲労感を換金化 3,000円程度
⑤パチンコを途中で切り上げる事により失う利益15,000円
合計26,250円

○プラスの計算
①素敵な異性がいて、付き合うことになった場合の価値を換金化(各種計算済※)10,000,000円
×素敵な異性がいる確率30%×付き合える確率1%=価値30,000円
②素敵な異性がいなくても、その場が楽し買った場合の価値10,000円
×素敵な異性がいない確率70%×楽しい一時になる確率90%=6,300円
合計36,300円

※付き合ったときの収益・費用、別れたときの喪失感など、すべて考慮しますが、計算は難しいので直感で判断します。この金額には恋愛に対する幻想を入れておいても良いと思います。

36,300円-26,250円=10,050円
彼は、行けば10,050円の利益と判断し、合コンに行くことにしました。
実際の結果がどうなるかわかりませんが、こういう合理的な判断を続けていけば、人生トータルでは、必ず良い結果が残るでしょう。

こんな計算は序の口です。本当はもっといろいろなものを計算に入れることができますが、めんどくさいのでここでは割愛します。

ちなみに、私は合コンへ行って職業を聞かれるとこう答えます。
「スポーツインストラクターです。」
そうすると、女性陣が興味津々で、
「えっ、何のスポーツなんですか?」
と聞いてきます。
そこで私は自信をもってこう答えます。
「簿記です。」
簿記はスポーツみたいなものなのですが、通常理解されません。
ここでだいたい女性陣の眉間にしわが寄ります。
だから、私の計算上、付き合える確率確率は1%です。

それでも私は言い続けます。
「私はスポーツインストラクターである。」と。

結論「簿記は人生を豊かにする。気づかないところできっと豊かになっている。」

テキトー相談室、相談募集中です。
回答はテキトーなので、深刻な悩み相談はご遠慮ください。

IFASフォーラムさん記事

IFASフォーラムさんはいつも役に立つ記事が多いです。

○公認会計士試験について
改正案が実質廃案 「企業財務会計士」は幻に、振り出しに戻った就職難問題
IFASフォーラム

改正案は不公平で、試験挑戦への魅力を削ぐものでした。廃案はよかったと思います。しかし、試験を難しくして合格後は安泰という、昔の状態に戻すのはあまり賛成できません。昔みたいに何年も勉強だけする無職が増えるのはどうかと思います。

私が思う案はこうです。
資格取得プロセスを通じて、会計・法律を一生懸命勉強する人がたくさんでるのが良い状態だと思います。関係者全体の知識が底上げされます。

①第一段階
日商簿記1級試験のような形。
公平でだれもが受験できる。
働きながらでも1~3年ほど必死に勉強すれば合格できる。
合格で「財務会計士」といった名称を与える。
それは公認会計士としての就職を保証するものではなく、ただの高度な知識と努力の証明。

②第二段階
その後、監査法人勤務・経理経験といった受験資格を条件にした、二段階目の試験で「公認会計士」を付与。
合格後は、そのままの職場で働ければ、監査法人に転職できなくても問題なし。
企業は、せっかく雇った財務会計士が監査法人に行かれると困るなら、資格手当ての増額などを制度化する。

未来予測は素人なので、このくらいにしておきます。

あとはこれ

○IFASと日本基準の関係について
開発費、のれん、退職給付、包括利益を議論
単体財務諸表はコンバージェンスせずが多数意見か、報告書公表
IFASフォーラム

討議資料、日本版概念フレームワークはこのままお蔵入りかと思いましたが、どうやら使うことになりそうですね。概念フレームワークは、日商簿記1級の範囲にも指定されました。
最終的に国境はほとんど意味が無くなるでしょうが、当面連結以外は、日本のための、日本の特徴を生かした会計を続けて良いと思います。

夏の停電

「試験が近いです。夜に停電になったら、どうすごせばいいのかアドバイスをください。」相談者T沢さん 税理士受験生@32歳♂


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「真っ暗だと何もできませんよね。何かいいアイディアはありませんか?」



夜間飛行可能、ライト付のラジコンヘリコプターを差し上げます。
23041602.JPG
「10分しか飛びません。しかも家庭用100vから充電するタイプです。」



漫画ドラゴンボールの、カメハメハ(気砲)の練習をしてみてはどうでしょうか?
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「先生、何回やっても出ません。」


消火器泥棒でもしたらどうでしょうか?
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「うちに二本あるので、十分です。」


他人を驚かしてはどうでしょうか?
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「私、もう32歳で、常識ある行動をしないといけない年齢なのですが。」


結論「寝ろ」

テキトー相談室、相談募集中です。
回答はテキトーなので、深刻な悩み相談はご遠慮ください。

間食をやめる方法。

「夜型なので、夜の間食が辞められません。」メタボになりつつあるのですが、どうすればよいでしょうか?相談者 W鍋君@大学院生 23歳♂

①虫歯画像を見ます
「虫歯」でGOOGLEの画像検索をします。気持ち悪い画像なので注意してください。この画像は定期的に見るものです。

②電動歯ブラシ・糸楊枝などを用意します
電動歯ブラシは3,000円くらいで販売されています。高い歯ブラシのほうが元を取ろうとする効果があります。電動歯ブラシは楽&楽しいのでお勧めです。
2011041201.jpg

③毎晩食事後に、丁寧に歯を磨きます
テキトーではなくて、丁寧に10分程かけて磨きます。歯の隙間のカスは、糸楊枝で丁寧に取ります。
テキトーに歯を磨くと、例えば隙間から歯の中にゴミが入り、少しずつ累積され、虫歯になったりします。歯の一部に白っぽい変色があったらその前兆です。

磨いた後は、舌で確認してください。ざらざらしていたら磨きたりません。
なお、強く磨けば良いというものではありません。強く磨くと歯をいためますし、歯茎から血がでます。やさしく丁寧に磨きます。


W鍋君のために、さとう歯科クリニックの佐藤院長先生に、歯磨きのコツを伺いました。
===========================================
基本的に丁寧に磨くことが必要です。もし電動歯ブラシを使うなら、お勧めはソニッケアです。ただ、電動歯ブラシを使っているからといって油断してはいけません。
糸楊枝は使ってもいいですが、歯茎を傷める可能性があるので、やりすぎに注意してください。
歯磨粉はあってもなくてもかまいません。

全体を磨くのではなく、やさしくていねいに一本ずつ磨くように磨いて下さい。
磨く順番を決めておくといいです。
ただ漠然とやっていると、どこを磨いたかわからなくなります。
たとえば下のほっぺ側をやったら 次はその裏 下が終ったら上みたいな感じで磨きます。

歯ブラシを斜め45度にし、毛先が歯茎にあたるようにします。
前後に小刻みに動かしてください。
前歯の裏は上も下もあてにくいので、歯ブラシを縦方向にして当てると良いです。

あと虫歯とは違うものに、歯周病があります。歯周病は無症状にすすみますので気をつけてくださいね。歯周病の一番の予防はプラークコントロールです。プラークコントロールとは、歯垢(プラーク)を管理すること、つまりは歯ブラシです。

半年に1回はかかりつけの歯科に行って、チェックしてもらった方がいいですよ。

w鍋さんへ
「ダイエット頑張ってください。応援しています。」佐藤
==============================================
佐藤先生、ありがとうございました。

④メンタルトレーニングをします
「夜食を食べたら歯を磨いた意味がない。いつか画像のような虫歯になる。女にもてるためには綺麗な歯が必要だ。」
と思い込みます。実際歯でもてるかどうかはわかりませんが、何度も思い込むとそれが自分の常識になります。

⑤負けそうになったら歯を磨きます
もし夜食を食べたくなったら、さらに歯を磨きます。そうすると、「あんなに綺麗に磨いたのに食事を取ってたまるか!うおおおおォ俺はもてたいんだ!」とかいう気持ちになります。人間何もしないと弱いほう・楽なほうに流れます。気合とか根性だけでは長く続きません。長く続かせるには、自分なりのシステム構築が必要です。丁寧な歯磨きは結構めんどくさいのですが、丁寧に磨くほど、間食したくなくなるので、結果的にやせることにつながります。

⑥続けて習慣化します
続けると、規則的な食事が取れるようになるでしょう。何事も、習慣化すると苦になりません。ただ、油断するとあっというまに元の惰性にもどってしまいますので、注意が必要です。規則的な食事が取れるようになったら、運動も組み合わせたほうが良いでしょう。運動も習慣化が大事です。

結論 「ところで、走って学校までくる話はどうなった?」

テキトー相談室、相談募集中です。回答は本当にテキトーなので、深刻な悩み相談はご遠慮ください。
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