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どうでもいいブログ-会計研修室の放課後::成人式

成人式

成人式というと、一般的には晴れ着やスーツで大人の決意を覚悟する日だろう。
どんな格好がいいか。綺麗な恰好をして、誰かにみてもらいたいか、または質素な恰好で大人の心で臨むか、人それぞれである。
恰好よりもっと大きな問題がある。一部の人には、出席するか否かの葛藤がある。
私は成人式に行くべきか行かぬべきか、さんざん悩んだ。行くべきでないと思う理由が多々考えられた。

その理由はこうだ
1.大人かどうかは年齢で画一的に決まるものではない。
2.周りの“子供たち”と一緒にされたくない。
3.政治家や役所のおじさんらのくだらない話を延々と聞く必要などない。
4.こんな俺が20年生きても、何もおめでたくない。
5.普通の生き方などしない決意を示す必要がある。
6.これからの人生で既存の価値観を疑う姿勢を保つために、成人式欠席は象徴的な行為である。

悩んだ結果、成人式には行かないことにした。
成人式当日、ジャージを着て朝から晩までパチンコ屋にいた。成人式の対極にあるものが、ジャージ姿でパチンコだと思ったからだ。

ちなみに、そのパチンコ屋には朝から成人式に行かない同級生が3人いた。
「お前ら成人式いかないのか?」
「そんなもんいかんよ。」
自分はさんざん悩んで行かないと決断したのだが、彼らは何も考えてなさそうだった。
成人式に行く者も行かぬ者も、普通はあまり深くは考えないだろう。
自分は斜に構え、余計なことを考えすぎており、精神的に少々ひねくれていたと思う。

好きな言葉がある。
「狂っているのは世界ではなく、自分だった。」
20歳の頃、「この狂った世界を変えるのは自分だ」とかいう勝手な、いま思うと薄っぺらい正義感があったが、20代後半までには、狂っているのはどうも自分だという事に段々気づいてきた。

それはさておき、親の世代になってわかったのだが、成人式は親にとってもイベントである。わが子を長年育てて、やっと20歳になった。成人式でわが子の晴れ着やスーツ姿などを見たくもなるだろう。
私の父親も、成人式向けに、私にスーツを買ってやりたかったようである。成人式に出ないことを告げると、がっかりしていた。
今思うと、成人式に出席しなかったのは申し訳ないと思っている。

いまもし20歳に戻れたら正直面倒だが、成人式に出席するだろう。
恰好などはどうでもいい。気持ちが大事である。当日、親に感謝の気持ちを伝えるだろう。
若いうちは、親の苦労などわからない。
一部の特権階級を除き、多くの人にとって、働いていてお金を稼ぎ、家族を養うのは楽ではないのだ。
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