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どうでもいいブログ-会計研修室の放課後::教育の失敗

教育の失敗

大学入試のために受験勉強して、いい大学に入り、いい会社に入る。出世して金を得るのは当然。収入が低い人たちは努力しなかったから。自分以外の人たちの生活がくるしくても知ったことではない。戦後こんなような人間が大量生産された。彼らの多くは、社会に迷惑をかけ続けている。なぜか?
彼らの大半が、自己中心的だからだ。彼らの大半は「受験勉強」ができただけであり、基本的には己の利益のために動き回っている。本当はたいした能力もなく、社会の役にも立っていない。そもそも社会の役に立とうなど思っていない。
それにも拘わらず、自分は社会のエリートだと勘違いをしている。人を学歴や年収で格付けし、自分より下だとおもったらマウンティングし、上だと思ったら嫉妬する、または面従腹背して媚びへつらう。
人生の目的は他人より金を得ること。他人より出世して、権力を握る事。
苦労したことがないから、人の痛みがわからない。人の痛みがわからないから、他人を傷つける。受験勉強や敷かれたレールの上でサラリーを得る事など、苦労でもなんでもない。親の金で勉強した事が苦労というなら、勘違いも甚だしい。
ここまで極端ではないかもしれないが、実際多くいる。そして、こんな人達が会社や役所で権力を握り、世の中を無慈悲で、利益のために人間を犠牲にし、つまらないものにしているのは事実である。
受験戦争や出世競争に勝った人間のみならず、そうでない人間にも、自己中心的で金や権力が人生の目的のような者たちはたくさんいる。無気力な人間よりははるかにマシだが、こういう人が今後も増えていくと、辿り着く先は格差社会である。富は教育格差にもなり、子孫に継承される。さらにその先に待っているのは、非富裕層を利用つつ、富裕層の生活向上のための分断社会、すなわち、自己中心的な分断社会である。富裕層による支配は長く続く。しかしその、搾取される側の富裕層に対する憎しみが、いずれ暴力となって富裕層に向かうことになる。
格差社会と分断社会は日本に限った話ではない。人間が欲望に従うと、自然にそうなってしまうのだ。資本主義の末路と言っても良いだろう。
日本人は元々そういう民族ではなかった。世界中で金の亡者たちが行った奴隷制度もなかった。しかし、なぜ我が国までこのような自己中心的な人間が増えてしまったのであろうか。

これは教育の失敗に他ならない。
その原因は家康の天下統一までさかのぼる。家康は保守的で内向的であり、日本は世界から取り残された。その結果、黒船来航・明治維新であわてて近代化をはかった明治新政府は、精神教育を置き去りにして、物質を優先させた。大東亜戦争で敗れてからも経済復興を優先させ、やはり精神教育は置き去りにされた。
精神教育がないまま資本主義が進み、当然の帰結として、勉強して出世して、他人を蹴落として金や権力を得る事を人生の目的とするような人間が増えてしまった。まるでそれが当たり前の美徳ような考えの者が多くなった。
中には、実質何の生産もしていないのに、巨額の富を得て、成功者のように振る舞う者までいる。また彼らを成功者のようにあがめるような人間まで増えてしまった。
この状況はわが国の歴史から見て、正常な状況ではない。日本史は、おぞましい時代もあったが、基本的には(特に江戸時代中期から後期は)日本人は周囲の人間をいたわり、己の信念に従い、誇りをもって生きていた。それが明治時代からの精神を置き去りにした近代化の影響を徐々に受け、現代の日本人は、誇りなき民族にまで落ちぶれてしまったのだ。

「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このままいったら日本はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、ある経済大国が極東の一角に残るであろう。それでもいいと思っている人達と、わたしは口をきく気にもなれなくなっているのである。」三島由紀夫

我々は資本主義の恩恵を受けている。競争も必要である。しかしそれは手段にすぎない。その前に人間としての誇りと優しさを忘れてはならない。富を得ることを目的にしてしまったら、おぞましい格差社会しかやってこない。
格差が拡がり、一生懸命仕事をしても生活が四苦八苦、経済的理由で病院に行くことも躊躇する、まじめに生きるだけでも生活が苦しい人は多い。 国内における相対的貧困のみならず、それ以上に決定的な世界の絶対的貧困は容認しえない。

皆がもっと楽しく生きられるようにするためには、一体どうしたらいいのだろうか。その解消は他人任せではない。自分達にできる事がある。そのツールは、知識による力を各々が得る事である。知識の習得にあまりお金はかからない。時代遅れの大学や専門学校に何百万円もする無駄な学費を払って勉強する必要は全くない。勉強する土台が構築できれば、時間とわずかなお金があれば、勉強はできる。


21世紀は分配の世紀だと言われている。苦しい経験をされた方が、知識を得て、社会的強者になって行く。 困難を乗り越えた方は、強くなっても社会にやさしさを与える人になれる。そういう人が増えて、そういう人達で競争すること、資本主義の競争の前に、人間としての優しさが必要なのだ。それがなければ、力で他人の幸せを奪う格差社会が待っているだけである。

「圧制者の 方から自由を自発的に与えられることは決してない。虐げられている人間の方から 要求しなくてはならないのだ。」 マーティンルーサーキング牧師

「これまで日本を統治してきた幕府や藩などはもはやあてにはならず、庶民の中から志のある者が立ち上がり行動を起こす以外にこの国を救う手段はありません。」吉田松陰

名声を得るために勉強するのも違う。吉田松陰は、かつて門下に対しこう言った。「僕は忠義をする積り、諸君は功業をなす積り」と。
周囲から褒められようとして功業を成そうとしているのか、社会に対する忠義で何かを残そうとしているのか。その違いで人間は、根本的に思考が異なる。
志の高い人間にとって、出世は人間があるべき理想を実現するための手段であり、周囲から褒められるために行うものでは決してない。

金や権力は手段であり、目的ではない。
人生は短い。自己中心的に金や権力を求める人生が、人生今際の時に本当に後悔しない生き方といえるだろうか。われわれは野獣ではない。人間なのだ。本当の人間らしく生きること。そこに後悔は生まれないはずである。

と、エラそうに語ってみたが、酒におぼれてやるべきことも実行しないアル中予備軍の自分には全く説得力がないのである。
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