一般的な意見はこうだろう
「将来不安だから」
「収入をあげるため」
「転職の武器がほしいから」
これらは正当な目的である。
悪い話ではない。
自分も、勉強する理由は、こういったものであったと思う。
しかし、全く違う目的で勉強をした人たちがいる。
長州に野山獄といわれる牢獄あった。
武士階層の牢獄である。
そこには12人の囚人がいた。
刑期の定めがなく、いまでいう無期懲役のような者たちである。
吉田松陰もその一人。
ペリー軍艦での密航に失敗し、長州野山獄に幽閉される。
大半の者は自暴自棄だった。
しかし吉田松陰が入って半年後、そこは学校に代わってしまった。
吉田松陰は、『孟子』の講義を始める。
在獄49年、76歳の大深虎之充まで勉学に励んだ。
なぜ、一生牢獄で過ごすかもしれない人たちが、勉強する気になったのか?
吉田松陰は、このように答えている。
今且く諸君と獄中にありて
(今しばらく諸君と獄中で)
額を講ずるの意を論ぜん
(獄中で学問をする意味を考えよう。)
俗情をもって論ずる時は、
(世俗の考え方で論ずる場合はこうなる。)
今巳に囚奴となる、復た人界に接し天日を拝するの望みあることなし、
(すでに囚われの奴隷になったからには、再び人の世に出たり、太陽を見る希望はない、)
講学切劘(せつび)して成就する所ありと雖(いえど)も、何の功効かあらん云々
(懸命に勉強して学問が成就したとしても、何の利益がるだろうかと云々いうだろう)
是、所謂(いわゆる)利の説なり
(これは損得本位の考え方である。)
仁義の説に至りては然らず
(道義の教えに至るものではない。)
人心の固有する所、事理の当然なる所、
(人間の心に生まれながら保有する所や、事柄の真理から見て、)
一として為さざる所なし
(一つも為していない。)
人と生まれて人の道を知らず、臣と生まれて臣の道を知らず、士と生まれて士の道を知らず
(人として生まれてたのに、人の生きる道を知らない、家臣として生まれたのに、家臣の道を知らない、志士として生まれたのに、志士の道を知らないようなものである。)
豈(あ)に恥ずべきの至りならずや
(本当に恥の極みではないだろうか。)
若しこれを恥ずる心あらば、
(もしこれを恥じる心があるならば、)
書を読み、道を学ぶの外術あることなし
(書物を読み、道を学ぶより外に方法がない。)
巳に其の数個の道を知るに至らば、
(すでに、いくつかの真理を知ることになれば、)
我が心に於いて、豈(あ)に悦ばしからざらんや
(私の心にとって、本当に悦ばしい事である。)
『朝に道を聞きて夕に死すとも可なり』というは是れなり
(孔子の、「朝に真理を知ったなら、夕方に死んでも構わない」という言葉はこれの事である。)

「人はなぜ勉強するのか」 岩橋文吉 モラロジー研究所
この時、吉田松陰25歳。
自分は25歳のころ、損得のために勉強し、その費用をパチンコで稼いでいた。
あまりにも幼すぎたと思う。
このままでは、命を張って、後世の人たちに生きざまを示した吉田松陰に申し訳ない。
今、勉強する目的を改めて己に問うてみようと思う。