松陰は見聞を広めるため、東北旅行を計画。
しかし、通行手形がなかなか落ちない。
彼は友人との出発日の約束を守るため、脱藩。
脱藩は重罪である。
士籍剥奪・世禄没収の処分を受けた。
松陰は海外に興味を持つ。
ペリーが再航した際、伊豆下田港に停泊中の黒船での密航を訴える。しかし黒船側に拒否され自首。長州へ送還され獄中生活を送る。
出獄後に松下村塾を開く。
身分の隔てなく塾生を受け入れた。

「学問とは、人間はいかに生きていくべきかを学ぶものだ。 」
「どんな人間でも、一つや二つは素晴らしい能力を持っているのである。その素晴らしいところを大切に育てていけば、一人前の人間になる。これこそが人を大切にするうえで最も大事なことだ。」
「人を信ずることは、もちろん、遥かに人を疑うことに勝っている。わたくしは、人を信じ過ぎる欠点があったとしても、絶対に人を疑い過ぎる欠点はないようにしたいと思う。」
(「」は吉田松陰の言葉。以下同じ。)
吉田松陰は草莽崛起(そうもうくっき)を唱える。
草莽は草木の間に潜む隠者、つまり一般大衆を指す。
崛起は一斉に立ち上がることを指す。
実際にこの塾は結果を残した。
明治維新に貢献する、かなり多くの人材が出た。
例えば高杉晋作。彼は問題児だったが、松陰によって長所を伸ばされる。彼の創った奇兵隊は、草莽崛起を体現したものである。

松陰は討幕を画策した罪で、幕府に斬首される。
わずか29歳で、豪快な生涯を閉じた。
「小生、獄に坐しても首を刎ねられても天地に恥じ申さねばそれにてよろしく候。」
人生は一度しかない。
年収がどうとか、貯金がどうとか、そういう小さい生き方はしたくない。
「成功するせぬは、もとより問うところではない。それによって世から謗されようと褒められようと、自分に関することではない。自分は志を持つ。志士の尊ぶところは何であろう。心を高く清らかにそびえさせて、自ら成すことではないか。」
時代は明治維新よりもっと大きく変わろうとしている。
これから新しい時代を創る主役は間違いなくビジネスであり、それを動かすのはいま生きている人達である。
「諸君、狂いたまえ。」
少しは狂ってみようとおもう。